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Lip’s(リップス)加藤貴子・吉村夏枝・山本京子

UCC CAN COFFEE

Lip’s(リップス)加藤貴子さん・吉村夏枝さん・山本京子さん、みんな元気にしてるかな。
当時は、ブログなどもない、Twitterもない時代です。
自分は当時19歳くらいでした。

今では、昔のアイドルなどが近況などSNSで発信したりしてて懐かしいです。
また、テレビにも出たりしてる方もいます。
そして、結婚して子供などいる人など
自分みたいに、いまだに未婚の人もいる。

Lip’s(リップス)加藤貴子・吉村夏枝・山本京子

Lip’s(リップス)
え、今さら?

リップス好きと言うと
人によっては洋楽のリップスね。と言う人が多いです。
(海外のアーティストと思う人もいます。)
一般的には、洋楽の方だと認識されると思います。

リップス:ファンキータウン/CD/UICY-78730

世代によっては、Lip’s(リップス)を知らないと思います。

Lip’s(リップス)は、
1989年のUCC CAN COFFEEミス・コンテストグランプリ入賞者で1990年に結成。
1990年デビューし1992年に突然の解散
Lip’s(リップス)解散後は、
加藤貴子さんは吉村夏枝さんと、山本京子さんとは会ってないそうです。

Lip’s(リップス)の書籍とか出ないのかな。
どういう経緯で解散したのか?。

自分は、結果的に最後になったライブ(イベント)行かなかったので。。

 


 

オール・ソングス・コレクション
ALBUM ∙ J-POP ∙ 2010
Lip’s

 


 
Lip’s(リップス)は、加藤貴子さん・吉村夏枝さん・山本京子さんの3人の女性アイドルグループで1990年デビュー、1992年解散。
加藤貴子さんは、今でも活動しています。
(結婚して、お子さんもいます。)

加藤 貴子 | アミューズWEBサイト
https://www.amuse.co.jp/artist/A0038/index.html

加藤貴子オフィシャルブログ「UCKY SMILE」
https://ameblo.jp/takaco-blog/

加藤貴子 (女優) – Wikipedia
日本の女優。
所属事務所はアミューズ。
静岡県静岡市清水区(旧清水市)出身。東海大学短期大学部卒業。血液型A型。
https://ja.wikipedia.org/wiki/加藤貴子_(女優)

吉村夏枝 – Wikipedia
日本の元アイドル歌手、女優、タレント。島根県出身。血液型はO型。身長160cm。
所属はソニー・ミュージックアーティスツ→オーガストクラブ
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉村夏枝

山本京子 –
https://w.atwiki.jp/nettoucm/pages/5424.html

吉村夏枝さん、山本京子さんは、現在では活動していないみたないな。

 


 

オール・ソングス・コレクション
Lip’s (アーティスト) 形式: CD
https://amzn.to/4cnXVGe

加藤貴子さんは、結婚後には、女優で活動
吉村夏枝さんは、その後に、別のグールで活動してました。
山本京子さんは、ソロで歌手で活動してました。

Lip’s(リップス)は加藤貴子さん、吉村夏枝さん、山本京子さんの3人の女性グループ
でアイドルって言うよりアーティストよりな気がします。

それは、楽曲のクオリティが高いから
デビュー曲の
愛の魔力(1990年3月21日、CBS/SONY RECORDS:UCC CAN COFFEE CMソング)
って曲は、
作詞が、白峰美津子さん
作曲が、上田知華さん
編曲が、新川博さん
です。
そして、参加してるスタジオミュージシャンが
ベースが、伊藤広規さん
ドラムが、青山純さん
キーボードが、新川博さん
など、他

Lip’s(リップス)は、加藤貴子・吉村夏枝・山本京子の3人の女性アイドルグループ
1990年デビューし1992年解散
活動期間は1989年から1992年

Lip’s – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/Lip%27s

Lip’s(リップス)は、CBSソニー
そして所属事務所は
加藤貴子さん、吉村夏枝さんが、CSアーティスト所属だった。
山本京子さんは、スリーシーズン所属だったが、たまに、CSアーティストの事務所にも仕事で来ていた。

Lip’s(リップス)は、
カテゴリー的に、アイドルなのかも知れないけど、楽曲がとてもよいのでアーティストによりかもです。

アレンジャーは、清水 信之さんだったし。
清水 信之(しみず のぶゆき、1959年12月14日 – )は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家である。ギタリストでもあり、ベースやドラムスなども演奏できる。元妻は歌手の平松愛理。
https://ja.wikipedia.org/wiki/清水信之

Lip’sの1stアルバムは、キーボディストの西脇辰弥さんが、ほぼアレンジをしてて、昔から好きなアレンジャーさんだった。

西脇辰弥(にしわき たつや、1964年7月28日 – )は、日本の作曲家、編曲家。愛知県刈谷市出身。
https://ja.wikipedia.org/wiki/西脇辰弥

 


 

EPICソニー総論が出たなら、CBSソニー総論も出るのかな?

EPICソニー総論 (メディアックスMOOK) ムック – 2024/7/30
合同会社バディット (編集)
設立45周年を迎えた日本を代表するレコードレーべル、EPICソニー(現Epic Records Japan)の1980~1990をテーマにした特集本
関係者インタビューを通してEPICソニーの45年を解析

岡村靖幸さんのSPER GIRLの曲
これは、もともと岡村靖幸くんの持ち曲(自分用)作っていた曲
これを、シティーハンター用に、落とし込んだ感じです。など解説あり

 


 

自分は、昭和の世代ですが、
1985年とか、当時って、娯楽も
今みたいに、多くないし、インターネットとかもなかったです。

素人さんの集団が、テレビに出て、楽しい感じ。
上手い、下手とか関係なく、なんかテレビが、今とは違い、面白い番組が多かったし、
テレビに活気があった。

よく、昔のテレビとか、視聴率が凄いっていうけど、
ビデオとかもない時代だと、テレビが娯楽だったので、そう数字なのかもです。

中学生の頃とか、アイドルって、いろんな人がデビューしてた。
自分は、中学生の頃に、洋楽とかも聴き出して洋楽にもはまり、
将来の夢は、いつしか、ミュージシャン、マンガ家、お笑い芸人とかなりたいって思いはじめてた。

小学生、中学生と共学だった。
高校は隣の席で、芸能人と、一緒に勉強ができたら、楽しいな〜って感じで、
某有名高校に行きたいと、親を説得し受験。
(お金がかかる高校だったので)
そして入学&卒業したけど、
高校は、一応、男女共学だが、男子クラづ、女子クラスでは
高校は軍隊のような厳しい高校生活でした。

高校はアイドルとか好きな人が多かった。
学校の友達とアイドルのイベントに行ったりして、
あるアイドルの子(同じ歳)のファンになる。

ラジオやテレビ番組の収録現場とかも行って、
いつしかマネージャーと顔なじみにもなったりした。

でも、そのアイドルの子は、話してて自分には、
なんか、あんまり興味がないとも感じ出した頃、

コンビニでバイトをし、バイトの女の子達と話してる方が楽しく、
高校を卒業と同時に、
いつしか、
友達も、自分も、そのアイドルのファンをやめたというか、
自然にイベントなどは行かなくなった。

高校を卒業してから自分の務めた勤務先の店長さんが、アイドルファンだった。
凄い詳しい人で、今でいうオタクな人です。
昔は、オタクっていう言葉はなかったけど。
自分より10歳ぐらい年齢が上の店長さん。
もちろん、独身です。
従業員からは、いろいろ噂されてて、
あの人は、変わってるよと、人と話さないしなど、
自分は、いろいろな話を従業員さんから聞かされた。

そんな店長さんが雑誌のヤングジャンプだったか、わからないけど、
UCCコーヒー関連で、Lip’sっていうアイドルのグループ(外人ではないです)がデビューし、

ヤングジャンプに、キャンペーンか何かで、Lip’sメンバーと電話で会話ができるっていうのが載ってて(メンバーは選べません)、そのページを自分に見せてきて、
店長さんが、何度、電話をかけても話し中なんだよと自分に言ってきた。

店長さんが、自分にも、かけてみてよ(電話を)繋がらいからって言われ、かけてみるがやっぱり話し中で電話が繋がらない。

UCC缶コーヒー
UCC 国民的アイドル宣言。

 


 
90年代ディスクガイド 邦楽編 (ele-king books) 単行本(ソフトカバー) – 2021/6/4
ele-king編集部 (編集)
90年代 “和モノ” 再発見 !
名盤、隠れ名盤、重要盤、レア盤など650枚を紹介
渋谷系、アシッド・ジャズ、ハウス、テクノ、ヒップホップ、レゲエ、オルタナティヴ、Jポップ、エクスペリメンタル
若者文化が音楽文化と同義であった時代のCDとレコード

 


 

就職氷河期 – Wikipedia
バブル崩壊後の1993年から2005年に学校卒業・就職活動していた年代を就職氷河期世代という
https://ja.wikipedia.org/wiki/就職氷河期

国は対策してください。
就職氷河期世代の方々へ。 – 厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/shushoku_hyogaki_shien/

 


 

自分がLip’s(リップス)を知ったのは
19歳くらいの夏。

自分は当時、ミュージシャンになりたくて
高校を卒業してすぐ、
CD店に勤務し、ミュージシャンを目指していた。

他にも、夢を追ってる人がいっぱいいた、
ミュージシャン(バンド)や声優など他。

そのCD店に勤めていた
店長がアイドルのオタクの人だった。
当時は、「オタク(ヲタク)」と言う言葉もなかったけど
趣味がアイドルみたいな。

また、当時は、世間的に、「オタク(ヲタク)」の人は、周りから危ない人のイメージがありました。
いつか事件を起こす人のイメージや、いつも1人でいる、独り言など言ってる、無口、何を考えるかわからないなど
今のオタクのイメージとはかなり違います。

自分が、20代の頃とかは、アイドル好きとか言うと、
人によっては怪訝(けげん)された時代だったと思う。

 


 

週間ヤングジャンプだったと思うけど?
Lip’s(リップス)のメンバーと、生電話ができる企画があって
専用の電話番号に電話をして、
運よく電話に繋がれば
Lip’s(リップス)の誰かと会話ができるような感じだった気がします。

当時は、スマートフォンや携帯電話もないです。

自分が25歳くらいの時に、携帯電話が、この世に発売されたと思う
(当時は、携帯電話=通話専用)
自分の専用の電話番号が持てるような感じで画期的だった。
料金も確か月2500円くらいな気がした

 


 

アイドルのオタクの店長が何回も電話しても
話し中で全く繋がらない。と言ってて
電話してみてよ?
と言われたので、
自分も試しに電話してみたら
やっぱり話し中で繋がらない。

でも、
その後に、何度か電話して、電話が、すぐ繋がった。
ハイ!もし、もし。

始めまして~って、めちゃテンションの高い声が、
電話の受話器から聞こえてきた。
自分も自己紹介をして数分の雑談。

今度、三浦海岸で、イベントみたいなものがあるから、
よかったら来てくださいね的なことを言われ

自分は予定がなければ行きますといい。
電話を切った。
電話で数分間の会話をした。
初対面で、めちゃ会話が弾んだ。

三浦海岸 | みうら観光ガイド
https://miura-info.ne.jp/sightseeing/beach-1/

その後に、店長さんも、公衆電話から電話をするが、全く繋がらず、キャンペーンは終了した。

その後も、店長は電話をするが全く繋がらずキャンペーン(生電話の企画)は終了した。

これもなんかの
縁なので、1回ぐらいは行ってみようかなと軽い気持ちで、
Lip’sのイベント(海の家でのイベントだった)に行くことにした。

このイベントは無料で参加が可能で
(8月13日、千葉県、館山、雑誌ヤングジャンプのイベント)
新曲の発売イベントではなく、
テレビ番組(日本テレビのHELP!)で流す歌の収録と、毎回、企業にお手伝いをする番組だったので、その収録と歌の披露、長時間、Lip’sのメンバーを見ることができたみたい。

 


 

当時、Lip’s(リップス)は、
兵藤 ゆきさんが司会の深夜のテレビ番組
ミニコーナーで参加。
三浦海岸で、その収録の撮影だったらしい。

兵藤 ゆきさんなど世代によっては知らないと思います。
日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出ていたタレントさんです。
兵藤ゆき – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/兵藤ゆき

撮影チームは、確か、ワークス?だった気がする

日本テレビ、番組名、HELP(30分番組)
(毎週、土曜日の24時にオンエアー)
野球中継で延長すると、真夜中に放送してた感じ

HELPの後には、『DAISUKI!』がやっていた流れです。

DAISUKI! – Wikipedia
『DAISUKI!』(ダイスキ)は、日本テレビ系列局の一部で放送されていた日本テレビ製作のバラエティ番組である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/DAISUKI!

当時は、深夜番組とかに、Mr.Children(ミスチル)とかも出ていて、
良い時代って、言うか、テレビが、本当に面白い時代でした。

 


 

HELPの番組は
要は、
HELPなので、依頼者からのお悩みを助けに行く(解決する)番組です。
おもに
Lip’s(リップス)が、
喫茶店(日テレのパーラー)で働いたり
犬の散歩をさせたり
車の洗車など他。

三浦海岸での、販売や飲食の手伝いなど

そして、当時は、
山本京子さんは中学生だったので
たまに番組など欠席してたような感じでした。

 


 

プレイバックTVガイド その時、テレビは動いた 単行本(ソフトカバー) – 2021/9/29
TVガイドアーカイブチーム (編集, 著)
テレビは時代を映す鏡と言われます。あの日、あの時、テレビは何を映してきたか、
常にテレビとともに歩んできた「TVガイド」の59年にわたる番組表を紐解きながら、その時代を振り返ります。

 


 

夏に、三浦海岸で、
Lip’s(リップス)と初対面し

この前、電話で話した、○○ですと、自分の名前を言うと、
あ〜!って、すぐわかってくれて、話がはずんだ。

生で、Lip’sを見て、めちゃカワイイと思った第一印象

そして、驚いたのが、
三浦海岸には地方から来てる、Lip’s(リップス)のファンもかなりいた。

え?
Lip’s(リップス)って、人気があるんだと知る。

夏の三浦海岸の海岸には、不自然なジーパン姿の人、人、人。
海に入るわけでもない感じです

自分は当時19歳くらい
中には、
結構な年配者の人もいた。
40歳くらいの人のような。

そして、
びっくりしたのは、その収録(イベント)に、自分の勤務先の店長も来てることだった!

え?って感じでした。

なんで、店で、何にも言わないんだろって感じでした。

俺も行くぐらい言ってきてもいいのにと。

店長は変わってる人だったので。
自分より8歳上の店長。

店長はCBSソニーに勤めていて
イジメ?なんかで退職したらしいです。

将来の夢は、テレビ局とかで働くみたいですが
つなぎでCD店(レコード店)で勤めたらしいです。

店長が、東京に来た理由はテレビ局で、いつかは自分で番組を作る?とかが夢だった気がする。

自分は店でも店長とは年も離れてるし、
そんなに会話もそんなにしなかったので。
店長は無口な人だったので。

 


 

当時はインターネットどころか携帯電話とかも無い時代。
デジタルカメラなどもない。

自分はイベントに来たが、カメラとかも持ってなかった。
なんか、みんな2ショット写真撮ってるじゃん、

すると、その場にいたファンの方が、
2ショット撮ってあげるよと声をかけてきて。
2ショット写真も撮ってもらった。

見知らぬ人。
ありがとうございます。

その方は、Lip’sのファンで、Lip’sのイベントには全部行ってる人だった。

自分よりも年上の人です。

後日、写真とネガをもらい。
その写真は、今では自分の想い出(青春)の写真です。

その後、自分は、Lip’s(リップス)にはまってしまった。

 


 

Lip’s(リップス)メンバーは、テレビ番組の収録なので

Lip’s(リップス)とも会話もできるし楽しかった。

今のアイドルみたいに、
CDを何枚買ったら、何分間か話せる企画とかではないです。

そして、自分は、HELPの番組に映りました(笑)

家で後日、そのオンエアーを見ると、え?自分って、こんな感じなのと感じた。

今では、スマートフォンで自撮りとか簡単に出来る時代ですが、当時は簡単ではなかったです。

三浦海岸での濃密な1日を体験し
すっかり
Lip’s(リップス)にハマってしまった。

人生が狂い始める?

Lip’s(リップス)と何時間も、一緒にいたので
Lip’s(リップス)のことが忘れなれなくなる感じに(笑)

家に帰っても余韻がすごかった、青春なのかな。この感じは。と。

それから、Lip’s(リップス)のテレビ番組やラジオ、雑誌などチェックするようになった。

 


 

他にも、
神奈川県での生放送のテレビで、
Lip’s(リップス)の出るコーナー(生中継?)で、

確か、Lip’s(リップス)の私物を
いくらなら買うような番組?値段が釣り上がっていくような。

参加者は、もちろんファンだったけど、
その番組にも生放送で映ったけど
当時、ケーブルテレビとかに入ってないので
オンエアーとか確認にできてない。

 


 

Lip’s(リップス)の私物を

店長の友達、この友達の人は、
とあるイベントで知り合ったらしいです。

店長とは全く違うタイプの人だった。

いつしか、
自分は
店長と、店長の友達と、自分で
Lip’s(リップス)のイベントなど行くようになる
(店長と自分は、Lip’sのメンバーで好みがかぶらなかった)

もちろん勤務先では、他の店員とかにも何も言わない。

地方のイベントには
店長の友達が車を運転して遠征もしてた。
とても遠かった。
千葉県の館山のイベントとか何時間もかかった。

新幹線で遠征したり、大雪の中のイベントなど
今思うと、やっぱり若いからいろいろ行動が出来たなと。

当時、店長の友達は給料がよい仕事をしてて月に40万以上稼いでた。

なので、オークションの競り合いとかは、
オレが金貸すから、競り落とせみたいなノリだった。

いつしか自分も運転免許を取得。

店長だけが運転免許持ってない感じでした。

 


 
七つ星(ななつぼし)という限定なユニットも活動した。

七つ星は、1990年11月、に「世直し少女党」を結成した女性7人で構成された日本のアイドルユニット。
「アイドル侵略作戦・楽しい歌、かわいい笑顔で、世の中を明るくする」のキャッチコピーで登場。TV・ラジオ・イベントの出演はなく、楽天使と同様に、クリスマス特別ユニットとしてCD・ビデオをリリースしただけの期間限定の活動であった。「リボン結びのWAKU WAKU」はNHK みんなのうたで放送され、映像には彼女たち自身が様々なサンタクロースの衣装を着て出演。

所属は全員CBSソニー「七つ星」として発表した曲は2曲だけであるが、ユニットごとに揃って録音したかどうかは不明である。なお、田山と宍戸はほとんど面識が無く、「七つ星の時も一緒になったのはジャケットの撮影の時くらいだったよね」と後に対談で語っていることから、全員で揃って録音したということはないようである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/七つ星_(アイドルグループ)

 


 

その後、Lip’sは、個人、個人でのソロ的な活動。

自分にとって、あの時に、夢中になったこと。

電話で話してなければ、Lip’sを、のちに知っても、
ファンとかには、なってなかったかも。

ファンになるきっかけって、いろいろあると思います。

続く

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